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ハタラクヒト Vol.2 採用定着支援コンサルタント 小池 翔太

Dreaming Up! 代表

採用定着支援コンサルタントさんって一般の方々はお会いする機会が少ないと思います。お仕事内容を教えていただけますか?


採用定着支援コンサルタントというのは、人材採用に悩む企業に対して企業の人材採用を支援するのが主な仕事です。採用方法のノウハウや時代のトレンド、業態ごとによる企業の経営戦略などを加味し、最適な人材を確保する採用戦略や施策を提案します。一見、仕事のイメージがしづらいかもしれませんが、結構ふんわりとした理想話からスタートし、自社の視点と、求職者・社員の方々の視点をマッチングさせて、より魅力的に演出できるように企業の方々と一つひとつカタチにしていきます。
例えば、多くの人が自己紹介が苦手なように、苦手という意識の裏側には自分自身に対し「自信」が持てなかったり、自分の強みや魅力を他者と比べ謙遜してしまう傾向が強いことから、どうアピールしていいのか分からない!という事が多々あると思います。実は企業も同じで、しっかりと自社の強みや魅力を理解し、どのようにアピールするかによって相手への受け止められ方も大きく変わるんですよ。
頭では分かっていても、なかなか一歩を踏み出せない…。そこをサポートして適切なアプローチの選択肢を増やした結果、魅力的な存在、企業にしていくのが主な仕事です。

いつ頃からこのお仕事をされているのですか?

採用定着支援コンサルタントとしては、2021年6月から独立しました。
それまでは静岡県東部の高齢者福祉事業を運営する法人で約9年間、主に人事や経営企画等の仕事をしていました。
採用や定着支援に関わる仕事を始めて10年近くになります。

大人になって“やりたい”事なんて全くなかった学生時代

今だからこそ、笑い話なのですが…
幼い頃は乗り物が好きで電車やバスの運転士なりたい!という可愛い夢があったのですが、物心ついた時には“楽しむ”事にしか関心はなかったですね。勉強なんてする意味がないと思っていましたし、何より大人たちに「あれをしなさい」「これをしなさい」と言われれば言われる程、そっちのけで友人達と遊び呆ける毎日でした。
そんな学生生活を送り続けると、どうなるのか?
答えは簡単で、学校という守られた環境が無くなった瞬間から社会に見向きもされない“ただの人”になりました。やりたい仕事もない中で働かなくてはいけない現実、そんな気持ちで望む面接って想像しただけでも雇用してくれる会社はそう多くはありませんよね。

聞いているこちらが不安になるお話ですが、最初に始められたお仕事は何ですか?

これも単純な理由で、あまり話しにくいのですが…(笑)
当時、18歳の誕生日迎える前で乗れる乗り物といえばバイクしかなかったので、四六時中バイクに乗っていたい!という思いから、郵便配達の仕事をし始めました。
体力にも自信がありましたし、毎日バイクに乗れて、自分のペースで配達出来るなという、自分都合な浅はかな動機でした。実際にやってみると、1日で己の愚かさに自己嫌悪に陥りました。
そりゃそうですよね、世の中を完全に甘く見ていましたから。
台風が来ようが雪が降ろうが天候に関わらず毎日配達し、ポストがあったり無かったり、道路からポストからものすごく遠かったり、季節によっては暑いし寒い、何より信書とされる重要な郵便物の配達や郵政という看板でもあるバイクで丁寧に配達することの大変さを知ることができ、今ではとても貴重な経験をさせてもらったと感謝しています。
自分が生きている社会で当たり前のように受ける事ができるサービスが、多くの人たちの絶え間ぬ努力によって成り立っているんだなと、実感できた瞬間でした。

当時、仕事の楽しさを感じ始めたきっかけは何でしたか?

正直なところ、どんな仕事にも同じことが言えるのですが、いかに相手に対して丁寧で気持ちの良いサービスを提供できるかが全てだと感じました。笑顔で接し、会話を交わし、自分自身を受け入れてくれればくれる程、配達先でお茶を頂いたり、軒下でみかんやお菓子を頂いたり、毎日の配達を心待ちにしてくれる方が増え、仕事が楽しいと感じる機会が増えていきました。
あまり声を大にして言えませんが、配達先企業の窓口の歳上のお姉さんから遊びのお誘いを受けたのは、今も忘れぬ青春の思い出です。笑

他にも多くのお仕事を経験があると伺ったのですが、どのようなお仕事をされて来られたのですか?


郵便配達の経験を経て、よりサービス業を学びたいと思い伊豆今井浜東急ホテルのフロントで働き始め、本格的に自身のサービスを商品化する仕事に目覚めたきっかけとなりました。
その後、更により幅広い層の方々に対したサービスとNo.1の集客力を誇る東京ディズニーリゾートの直営ホテル「ディズニー・アンバサダーホテル」のフロントキャストへ転職しました。
ここで補足しておきたいのが、恐らく皆さんのディズニーキャストのイメージはディズニー大好き!という人たちが働いているイメージを持たれると思いますが、実はそんなに多くはありません。
東京ディズニーリゾート等のテーマパークに訪れる方々は非日常な体験を求め、またテーマパークでの体験の延長をホテルで体験するといった、そこで働く私たちにとっても非日常の空間で働けることの充実感が働きがいになっていたのかもしれません。当時、私が意識していたことは、ゲストが「ここに泊まってよかった」「小池さんに対応してもらってよかった」と思い続けてもらえるよう、試行錯誤の日々を送っていました。時には、テーマパークの詳細な案内や、効率的な楽しみ方、周辺施設の案内をしなくてはならなかったので、商品であるディズニーの事をとても勉強したのは今でも鮮明に覚えています。特に今まで働いてきた仕事と異なるのが「ディズニー・フィソロフィー」といった、全ての事柄に対し、明確な目的と理由があり、その考えに基づいた言動が出来てこそ感動体験を提供できるという、物事の基本を学ぶ事が出来ました。毎日が働きがいに満ちていた、そんなある日、あの東日本大震災が起きたのです。

当時の話を聞かせてもらえますか?

震災当時も勤務中でした。
強くなる揺れとともに、映画でしか聞いたことのない悲鳴、その場にしゃがみ込むことしかできなくなる人々。
1分前の日常が一瞬にして壊れていく姿を目の当たりにしました。幸いなことに怪我などなく、ゲストを安全な環境に誘導し、少しでも安心して頂けるようキャストの一人ひとりが必死に対応していました。本心を言うと、誰もが自分の大切な人たちの安否をすぐにでも確認したかったと思いますが、誰に言われることなく目の前のゲストの安全と安心を第一に考え行動していました。今、冷静に振り返ると、その背景には年間180回にも及ぶ、あらゆる災害を想定した防災訓練を積み重ねてきたからこそ、世間から称賛されるディズニーの対応であったのだと思います。

震災をきっかけに転職… 高齢者生活の実態を知る

震災の影響でエリア一帯の液状化現象や計画停電が続き、ホテルやテーマパークの運営がストップ。
運営再開の目途はたたず転職せざるを得ない状況になり、限られた求人しかなかった中から地元の大田区で生協の配達員として働き始めました。
そこで出会ったのは、十分な生活資材が整わず余震が続く不安な情勢が続く中、週1回の配達を心待ちにしてくださる多くの高齢者の方々。核家族化で単身高齢世帯が多く、その大半が話す相手が誰もいないという生活環境。たまに来る郵便配達員や私と話しをするひと時を楽しみにしてくださる方がたくさんいました。
また、衝撃だったのが高齢者の孤独死の実態。私が所属していた営業所の管轄エリアでも、一週間後配達に行ったら亡くなっていた、といった話をよく聞いていました。

そんな頃、高校時代の同級生との会話の中で、彼が介護の会社で働いていることを知りました。「介護の仕事は今後ますます必要とされるし、ホテルでの経験が活かせて楽しいよ」とのこと。この話をきっかけに、高齢者介護の業界に足を踏み入れることになったのです。

掃除をきっかけに介護の世界で認められることに


デイサービスの介護スタッフとして働き始めてすぐに大きな壁が立ちはだかりました。職場は1日10名の小規模デイサービスでしたが、利用者さんと当時のスタッフに全く受け入れてもらえなかったのです。話をしても続かない、あらゆる介助は拒否される。何かあっても、分からないんだったら、やらなくていい。そんな言葉を言われる毎日だったのは苦い思い出です。

どうしていいか分からない日々の中、やっとの思いで導き出したこたえは“掃除”でした。たかだか掃除と思う方も多くいるかと思いますが、ホテルでは髪の毛一本、水滴一つ残っていただけで清掃不備として即座にクレームに発展します。その清掃の重要さを学んでいたため納得のいくまで掃除をしました。当時の同僚や上司からは変わり者扱いされたのは言うまでもありません。

そんな私の行動に、上司から社長へ「必要以上に掃除をする。周りのスタッフが困っている」と告げたそうです。ところが社長は「お客様をお迎えする上で大切な心掛けではないのですか。当たり前の事を当たり前にできる行動は間違っていない」と言ってくれたのだそうです。

それからも気が済むまで掃除をして利用者さんへ声掛けしているうちに、少しずつ介助をさせていただく機会が増えていきました。

利用者さんが教えてくれた「今日」の大切さ

高齢者福祉の仕事での印象的な出来事は何ですか?

とある日の夕食後「翔ちゃん、ちょっと良いかしら」と一人の女性利用者さんから話かけられました。その時、私はバタバタしていた為「Aさん、ごめんなさい。今、片づけ手伝っているので、後でお話聞かせてくれませんか?」と答えました。

すると「そうだね、私の話は急ぎじゃないから大丈夫よ。たまには奥さんの為に早く家に帰ってあげて」と言ってくださり、翌日の朝食前にお話を聞きに行くと約束して別れました。

しかし明け方「Aさんが急変して搬送されました」との電話を受けすぐに病院に駆けつけました。「大丈夫?昨日の話は何だったの!?」と声をかけるも返答も無し。その3日後、Aさんは旅立っていきました。

なぜあの時、話を聞かなかったんだ、と何度も自分を責めました。今思うと、Aさんは自分のお迎えが近いことを悟って何か伝えたかったのかもしれない。そんなAさんの、最期の言葉を知ることは今もできません。

私たちは明日や来年、何十年後を見据えて生きています。しかしAさんから「すべての事柄を当たり前だと思ってはいけない。できることはその日に行わなくてはいけない」と教えてもらったと思っています。それからは「話がしたい」という利用者さんやスタッフからの声には全力で向き合うようにしていました。

介護ヘルパーから人事担当への道のり

前職では、どんなお仕事をされてこられたのですか?

現場の介護ヘルパーとして通所介護事業所に配属され、前述の通り異色の業界からの転職ともあって色々な意味で目立つ存在の私に対し、とある日に社長と直接話をする機会を頂き、ある質問を受けました。
「この世界に入ってきて、今、何かやりたいことはある?」あまりに唐突な質問に「これまでホテルで培ってきた経験を活かし、人を育てる、人に目標を与えられるようになりたいです」と、ただ思いや考えを伝えることしかできませんでした。

自分のやりたいようにやってみなさい

自身の気持ちを伝えると当時の社長より、今までは私が全ての人事を担ってきたが、会社として正式に人事部を設置するからチャレンジしてみないか?
この一言が私の人事担当者としてのスタートでした。
入社から間もないタイミングで打診を受け、法人としても、私個人としても0からの人事部立ち上げに携わらせてもらい、全てが手探りの状態から走り出したのは今でも鮮明に覚えています。
当時は人事としてのあるべき姿や制度や仕組み、参考書を探すも当時の自分には読み取ることの出来ない専門的な内容で、毎日が試行錯誤の連続でした。次第に様々な手筈を知らないが故の攻めのアクションが出来ていた一方、知れば知るほど先を見越した結果を優先し守りの姿勢になってしまった事もありました。
特に経営者側から見る視点や求める事と従業者側の見る視点や求めることの相違に対し、相互に理解を得れる結果をもたらさなければならないシーンは、都度状況が変わってしまうため難しくも解決できた時にはやりがいを感じる瞬間でもありました。
以降、人事担当者という業務と並行して管理者・施設長として有料老人ホーム等のフローを学び、高齢者福祉事業が様々な関係事業所・事業者との連携により成り立っていることを学び、最終的には事業開発や経営にも参画し、あらゆる視点での総合的判断力を身につけることができ、常に現場ファーストの視点を持ちつつ目指す目標や成果に向け取り組んできました。

特に大変と感じた事は何でしたか?

それは企業として、どんなに大きく成長したとしても常に現場の第一線で働いてくださるスタッフの目線にならなければ問題の本質が見えないという事だと私は思っています。
私が入社した当時は社員数が40名程の規模でしたが、事業拡大とともに社員数も増えグループ企業を含めると約300名が在籍する企業へ成長しました。また、その過程において今まで見えていたものが見えなくなってしまうタイミング。見えなかったものが見えるようになるタイミング。それぞれのタイミングで気をつけなければならないことが異なることから、常に注意を払わなければそこに潜むリスクを見落とし、ネガティブな結果に直結してしまいます。
このような話をしてはいますが、私自身も大小含め数えきれない程のミスを重ねたことも事実です。
他責と自責という言葉があるように、自らが自らの失敗を失敗と認めリカバリーとして何ができるのか…。お金や物の扱いとは異なり、如何に人の「気持ち」に寄り添う事が出来るかこそが、人に寄り添う仕事をする者の必要な素質なのだと思います。

いつから独立をしたいと考えていたのですか?

それは30歳になった時ぐらいだったと思います。
それまでは不自由のない環境で働かせて頂いており、周りから見ればとても優遇されているという印象を持たれていたと思います。その反面、地位や役職が変わり立場柄「威厳のある存在」になりたいと追い求めれば求める程、理想から掛け離れ、自分自身では気を付けていても相手を傷つけてしまい、また見えないプレッシャーと責任ある立場、日々のに気持ちに余裕がなく何に対して自信を持つべきなのか迷走した結果、人に寄り添う立場の人間が現場の意見に反する答えを導き出さなくてはならない事に納得が出来なくなっていく自分がそこにいたのです。
頭では理解していても、忖度してはいけない立場の人間がしてしまう環境に対し、このまま続けるべきではないという答えを出しました。

独立を決断したきっかけは何ですか?

独立を考えるようになってからは、今までの気持ちとは打って変わり一定の距離感を保つことをやめてスタッフとの距離を縮めるべく、出来る限り多くのコミュニケーションを図っていきました。時には話をもう話すことがありません!となるまで話を聞いたり、具体的な解決の方法や目標達成への糸口を一緒に見つけたり、一人ひとりと向き合うことで「本音」が聞き出せるようになっていきました。また相手を尊重した伝え方、引き合わせ方をすることで、スタッフ間の思い違いによる問題を解消する、第三者としてのネゴシエーター(交渉人)の必要性を感じ出しました。
採用から定着に加え、より魅力的な企業・職場にするためには、あらゆる取り組みや制度の良し悪しを冷静に判断し、同じ様に困っている方々の特別な支えになりたいと思い独立を決断しました。

今の仕事のやりがい

誰もが憧れる“カッコいい仕事”や“企業”とは、相手への見せ方や伝え方次第で大きくも出来ますし、反対にマイナスにしてしまう事もできます。特に、より加速化していく生産年齢人口の減少による状況下の中では、今までとは異なるアプローチやツールを用いらなければ、無意識に関心を引立たせること、引立たせ続けられる事が出来なければ、採用力・定着力が衰退してしまいます。企業の規模や求められるニーズに対し最適化した提案を心がけています。
クライアント企業に在籍している所属スタッフさん達の心境の変化や、楽しく働いている姿、関心を寄せられる事による応募者数の増加等、企業の社長や担当者の方がワクワクされている姿を見れる事が、今の私にとって最高の瞬間です。


(この記事は 2021.6.1 の取材に基づきます)

プロフィール

採用定着支援コンサルタント 小池 翔太Shota Koike

東京都大田区出身。
ディズニーアンバサダーホテルでの従事を機にサービスマインドの心髄を学び、人々の小さな幸せやヨロコビを最大化するため、独自のメソッド構築に魅了される。その後、東日本大震災の影響をきっかけに社会福祉への興味を抱き「ホテルのサービスマインド×福祉」を融合させたサービスを実現すべく、福祉業界の道を選択する。その後、実務を経てES/CS向上に重点を置いた人事制度構築、人財開発(海外も含む)、社内外研修の講師として従事。これまでに面接、採用支援、キャリアコンサルティング等に関わってきた人数は1000人を超える。
2021年6月より、HRTech(Human Resources(人事)とTechnology(テクノロジー)の融合)の確立に向けた事業立ち上げをすべく、株式会社エンパワーメント・ジャパンに参画。
動画・カタログ制作やWEB・SNSプロデュース、イベントプランニング等のクリエイティブサービスを提供する「Dreaming Up!」代表。